体験事実と事実認定
裁判における事実認定という行為は,ある意味で非常に奇妙な行為とも言えます。なぜならば事実を直接体験し,知っているのは刑事被告人や民事の原告など,当事者自身なのですが,その当事者の供述評価をめぐり,事実を知らない検察,弁護士らが争い,そしてこれも全く事実を知らない裁判官が何が「事実」かについての最終判定を下す,という行為だからです。
供述が嘘であろうとなかろうと,本当のことを知っている当事者に対して,それを知ることのない裁判官が「これが事実だ」と宣告するのですから,日常世界ではあり得ない,実に奇妙で特殊な出来事だと言えます。
もちろん裁判官の描く「事実」は,決して裁判官の体験に基づくものではなく,弁護士や検察や,証言者たちの法廷におけるコミュニケーションや,提出される物証を通し,さまざまな情報を総合して裁判官が推理し,想像したもの以外ではあり得ません。判決は一つの「社会的に構成された物語」である,という基本的な性格を決して脱することはできないわけです。
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弁護士・検察・裁判官にとっての「事実」が,そのような「直接的な体験に基づかない,構成された<事実>」である以上,その認定過程には人間の事実に関する推論の仕組みが不可欠なものになります。認定事実はあくまで人為的な構成物であり,客観的事実でもなければ,当事者の体験事実でもあり得ないのです。両者にずれがあるのは,従って裁判という仕組みにとっては不可避の,必然的な結果と言えます。
裁判という仕組みを維持する以上,私たちに可能なことは原理的に言ってずれることが当たり前の事実認定を,いかにズレを少なくして行うことができるか,という工夫を積み重ねることだけです。
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その作業を可能な限り妥当なものにするためには,供述の特性を知り,供述生成のシステムを理解するとともに,供述から推論による「事実」認定過程の論理を理解することが必要です。それを知ることにより,それによって生じやすい間違いに敏感になり,可能な限り修正することができるようになるからです。供述の心理学的分析もまたそのような努力の一環を形成します。
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(参考文献)
ボーネ,G. 2006 庭山・田中訳
裁判官の心証形成の心理学
:ドイツにおける心証形成理論の原典
法と心理学叢書 北大路書房 |
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(参考文献)
秋山賢三 2002
裁判官はなぜ誤るのか
岩波新書 |